「リコリス・リコイル」感想-親からの期待だとか社会的責任だとか知ったこっちゃあねえんだよ!-
画像だとかセリフ書き起こしだとかめんどくさいのでこっちで。
今更ながらアマプラで前期アニメ『リコリス・リコイル』を一気見しました。
全部見終わったあとの感想を一言で表すと、
親や社会に縛られたキャラクターたちが自由に生きるようになるまでの話だったなーって感じです。
まあこんな辺境のサイトまで見に来るような人はリコリコ全部見ていると思いますし、そう仮定して何も説明なしにキャラクターや組織などの物語的役割を羅列していきたいと思います。文章考えるのめんどいんよ・・・。
吉松シンジ
親からの期待、束縛
社会的責任 社会の仕組み
フキなどのリコリスたちや初期のたきな
社会的責任に固執、縛られている
真島
社会の仕組みアンチ 逆に言うと社会の仕組みに固執、縛られている
錦木千束
親からの期待や束縛、社会的責任や社会の仕組みなどから解放された者
はい、もうだいたい言いたいことわかったと思います。もうこの記事終わっていいですかね?
たきなはリコリスでの地位という社会的立場、社会的責任に固執していたけどリコリコでの暮らしと3話での模擬戦によって解放されて自分のやりたいように生きるようになったって感じでしょうか。
フキは社会的責任を重視して頭お硬い感じでしたが終盤ではリーダーとして自分で考えて時には上からの命令に背く決断をしたりしていました。
真島は社会的責任からは解放されていましたが、誰もが自由に生きる舞台、社会の仕組みを整えることに固執していて千束と敵対することになったって感じでしょうか。バランスを取らなきゃなあ!?
千束は毒親吉松シンジからの期待を誤解することと親代わりのミカによって自由に育ちました。10話の
「ありがとう、先生。私に決めさせてくれて、ありがとう。それ聞いてたら、多分私は負けてた。そんで仕方なくリコリスの仕事してたと思う」
「で、嫌なこととかつらいことは全部先生やヨシさんのせいにするんだ」
「それは嫌だわ。うん、ないない」
ここは名シーンだと思います。親や社会からの束縛全てから解放されているキャラ、正しく主人公です。
まあね、人は親からの期待だとか社会的責任だとか無視してやりたいように生きたほうがいいし、社会の仕組みというか環境があれだったら別のところ行ったらいいんすよ。ワイもハワイ行っちゃうかー。
あと最後千束が死んでたほうが話としては綺麗だったとか宣ってる人いたような気がしますがそれはないでしょう。千束が死んだら親や社会からの束縛から解放されて自由に生きることを否定する話になると思いますが。まあでも親を犠牲にして生き延びた形になってしまったし他の解決方法があったほうがよかったなあとそこは私も思います。
それと、たきなの役割がちょっと薄くて百合感はあまり感じられませんでした。たきなの話は3話くらいで終わっているし、千束の話はたきなと全然関係ないところにありますし。さかなー。
それとそれと、親や社会からの束縛からの解放というテーマは、今放送中の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』とだだかぶりなんですよね。
スレッタは母親、その他からの様々な呪縛、呪いから解き放たれて前に進んでいく女の子である。
これがテーマだと自分の中でそう理解した。
それで一気に呪いの反対である、正確には対義語ではないかもしれないけど祝い 祝福を思いついた。
引用元:ロックインジャパンYOASOBIインタビュー
水星の魔女はテーマめっちゃわかりやすいですよね。逃げたら1つ、進めば2つ。
リコリコはテーマ全然伝わってなかったっぽい。
私は一気見したので余裕でテーマ分かりましたが一週一話ずつだと分かりづらかったのかな。
まあリコリコも水星の魔女も面白いからヨシ!w
ワイに小説版買って送ってくれ。