魔法が使えるようになりました
お恥ずかしながら私、本日より魔法を使えるようになりました。
・・・マジで?
もう10代も終わっちゃうのか・・・って思ったのがついこの間な気がするんですけど・・・。
ひきこもってて変化の乏しい毎日だと本当に月日が過ぎるのが早く感じますね。
まあひきこもりの私にとって誕生日はめでたくもなんとも無いです。
20代も終わって本格的に人生オワオワリ感が増しました。
30ですよ30。こいつ精神年齢低いし10年ひきこもってたいうてもせいぜい25くらいやろと思ってた方もいるでしょうが実はもう30です。はあ。
もこう先生も言っているように、20も超えたあたりからは誕生日は何も嬉しくないんですよ。
本質的には小学生くらいから何も変わっていないのに、周りから求められることだけが増えていく。
歳をとってもいいことが何もないんですよね。
小学生のように何も求められず何の責任もなく生きていたい。
もこう先生は夢中になれることがあったのが幸運だったと言っていましたが、無気力で一日の半分以上寝ている私からしたら本当に羨ましいです。
あと告白しますが、私は今日までに死のうと10代の頃からずっと考えていました。
だって生きてても楽しくないし。ひきこもってる今は楽も苦もない無だけど、普通に外に出て生きてた頃はほぼ苦しかなかった。
たっまーに楽しいことがあってもちょっと嫌なことがあるとかき消されそっちのほうが印象に残ってしまう。
楽しいことと苦しいことのバランスあってねえだろ運営修正しろや。
マジでみんな何が楽しくて生きてるのかわからない。
私にとって楽しいことってなんだろう。甘いもの食ってる時と何らかの物語に触れている時くらいかね。
まあそういうわけで、若者かどうか怪しくなる節目の30までには逝こうと中学在学中あたりから考えていたのですが、なんだかんだで死ねないわけです。
これまでの人生で何回か死ぬタイミングはあったと思いますがなんだかんだ生き残ってしまいました。
まあ生き残ってしまったし少しは生きる意味を見出したいと思います。はい。
アンダーテイルをクリアした感想-他者との関わり方-
プレイ時間は全ルートクリアで15時間ほど。
といってもそのうち6時間くらいはGルートでアンダインとサンズに挑戦していた時間なのでスムーズにいけば10時間もかからないと思う。
テーマとしては、他者との関わり方だろうか。
小さい子にもおすすめできる優しいストーリーであり、なおかつとても考えさせられるストーリーで、そりゃ色んな賞を総嘗めにするわって感じだった。
アンダーテイルの特徴は、一体もモンスターを倒さずにクリアできることだろう。
しかしそれはそう簡単なことではなく、まずは分析をしたりモンスターのセリフを聞いたりしてモンスターのことを理解し、どのような行動をすればモンスターが満足して帰ってくれるか考えて行動を選ばなければならない。
最初はちょっと見た目が気持ち悪いなと思ったモンスターも、分析や話をしているうちに全員可愛く思えてくる。そうやって他者を理解することと多様性を認めることの重要性を教えてくれる。
見事に一体も倒さずクリアすればPルート(pacifist)に入り、モンスターを一体残さず虐殺しまくればGルート(genocide)、それ以外はNルート(normal)に入る。
面白いのは、途中までGルートを進んでいたとしても、1体でも見逃せばNルートに入ってしまうことだ。
途中まで酷い行動をしていても、それに気付いて改めればバッドエンドにはならないのだ。
これはリアルの人との関わりでも同じことが言える。
出会った人全員を傷つけてきた人はいないだろうし、その逆もまたいないだろう。
人の人生は尽くNルートであり、どんなに酷いことをしていた人でも、気づいて反省したときから普通の人生に戻れるのだ。
アンダーテイルという物語は、Gルートを歩んできた人への救いでもある。
過去の酷い行いに気付き、認め、許す。そして、以降は同じ過ちを繰り返さないようにしっかりと人生を歩んでいく。人生とはそういうものだ。
時には立ち直れないかもしれない。その時は友人が手を差し伸べてくれる。この辺はPルートのアルフィーの話。
Pルートのアズリエルの言葉がこのゲームのまとめに近い。
うまく生きるには「殺さず殺されず」。
殺す・・・というのは非現実的なので"傷つける"に言い換えよう。
「傷つけず傷つけられず」。
他者と関わるときは、アンダーテイルでの戦闘のように分析したり話をしたりして相手のことを理解し、相手のことを傷つけないようにする。
それでもダメだと思ったときには、自分が傷つけられる前に逃げる。
そういうことを繰り返しながら、理解者を見つけ、友だちを作り、家族を作り、生きていくのだ。
・・・ここからは戯言
私はかなりの人を傷つけてきたし傷つけている。
おそらく常人の数倍は傷つけているだろう。
リアルの私はとにかく無愛想であり、一度誰かを敵認定すれば二度とその人に心を開くこともない。
まあ第一印象くらいは頑張るがそっからは落ちていくだけだ。だって人と関わるの苦痛でしかないもの。
頭では理解していているのだ。もっと人と仲良くしたほうがいい、心を開いたほうがいい、と。
しかし脳がそれを拒否する。人が近くにいるだけでストレスが溜まり、パニックになってしまう。
何度か書いたことはあると思うが、私は子供の頃虐待を受けており、いわゆるアダルトチルドレンである。
悪意をもった虐待ではなかったかもしれないが、ヒステリーは日常茶飯事であり、時には暴力もあり、左手には縫った傷跡が一部残っている。
四月は君の嘘の主人公の母親みたいな感じを想像してみてくれるといい。ヒステリーって浴び続けると人に感情を向けられるの嫌になるし、自分も感情を出したくなくなる。
本人は子供のためと思ってやっていたのかもしれないが、自分の理想を押し付け子供を理解しようとしていない時点で虐待である。そもそも感情的になって暴れてる時点で論外だ。
十数年経ってそれなりに関係が改善された今では許しているが許していない。
アンダーテイルでは、プレイヤーは主人公の親みたいなものだ。主人公が幸せな結末を迎えるように誘導し、色々な価値観を学ばせていく。
子にGルートを歩ませるような親は親失格なのだ。私も親になればそうなってしまう気がするし、負の連鎖はここで断ち切らなければならない。
話は少しそれたが、そういうこともあり、人と関わることに拒否反応が出るようになった。
他人と関わるのは苦痛でしかない。他人が近づいてくるだけで頭が痛くなる。*1
おもいっきり親のせいにしているが生まれつき他人に興味なかったしどっちにしろこうなる運命だった気がする。それくらい自分が普通に他人と接している姿が想像できない。
常に警戒心MAXでありネガティブ思考で、その言動からたくさんの人を傷つけてきた自覚がある。
秋葉原加藤や京アニ青葉など無差別殺人鬼の気持ちは少しわかる。
世界から他者を消したいという気持ちは心のどこかにいつもあるのだ。
実はアンダーテイルでGルートを一度でもクリアしてしまうと、そのセーブデータでPルートをプレイしても最後の最後でGルートでの人格に切り替わり、バッドエンドになってしまう。SPルートというらしい。
なんかこのグループ居心地ええなあ・・・ぶち壊してえなあ・・・とか思って実際そうなるように誘導していく人間が世の中にはいるらしいが、それがSPルートの主人公みたいなものだろう。
これもちょっと気持ちがわかってしまう。他人のことを完全に信じきることができないのだろう。人の本質は悪だと思いこんでおり、いい人からも無理に悪い感情を引き出そうとする。境界性人格障害かな?
悲しいことに、一度でもGルートをクリアしてしまったら幸せな結末は迎えられないのだ。
Gルートを歩んできた。いや、歩んでいる私達に救いはないのだろうか。
*1:ネット上だと顔が見えないのでそこまで酷くはない。傷つけたいと思ってもいないし安心してください。
アクダマドライブが面白い
今期はアニメを結構見ている。
全部で15本ほど見ているが、特に面白いのがアクダマドライブ、憂国のモリアーティ、ひぐらしのなく頃に業、の3つだ。
ひぐらしのなく頃に業に関してはひぐらしのなく頃に無印とうみねこのなく頃にの予備知識が必要なので敷居が高いかもしれないが。
今回はアクダマドライブについて書きたいと思う。
あらすじ書くのは面倒なので書かないが、ざっくりどんなアニメなのか説明すると、近未来の関西で犯罪者達が己の生き方を貫いていく話だ。
ストーリー原案とキャラクター原案は「ダンガンロンパ」の人らしい。
・・・そもそも悪とはなんだろうか。
悪とは、属している集団の大多数の価値観・・・つまり倫理観とかけ離れた価値観のこと。
そういった価値観を持つ者を悪人と呼ぶ。
私はそう考えている。
アクダマドライブのキャラ達でいえば、”喧嘩屋”は強い者と戦うことに価値を感じ、”医者”は人の命を自分の手で左右することに価値を感じているなどである。(キャラクター名が”医者”や”チンピラ”や”一般人”などでややこしいのでキャラクター名の場合は””を付けることにする)
そういった価値観は、戦時中とかであれば社会の役に立ったかもしれない。
だが、それらは現代社会では必要のない価値観であり、害悪でしかないのだ。だから彼らは悪人と呼ばれる。
さて、アクダマドライブのメインキャラの中で唯一悪人ではない”一般人”がいる。
私はこの”一般人”の役割がよくわからなかった。
他のメインキャラ達と違って特筆した能力があるわけでもないのに、事あるごとに感情的になっていちいちうるさい。正直鬱陶しかった。
だが、6話まで見てようやく彼女の役割を理解することができた。
先述したような根っからの悪人は、自らが価値を感じるもののためであれば、自らの命を捨てることも辞さない。
”ハッカー”は死ぬかもしれないとわかっていてカントウに向かったし、”喧嘩屋”は強い者と戦って満足して死んだ。
”処刑課のボス”は、自らの価値のために進んで死を選ぶ者を生に繋ぎ止めるための物は情だと言う。
”一般人”の役割はそれなのだろう。
”一般人”は、相手がアクダマであろうとなかろうと、命の心配をするし一人の人間として接する。
”一般人”のそうした態度は、価値観が社会の価値観とは離れており孤立しがちなアクダマ達には新鮮だった。
だから”ハッカー”は”一般人”に心を少し開き、端末を一つ渡したのだろう。
人は、誰かが自分のことを心配してくれている、必要としてくれている、と感じていると簡単に命を捨てられないものだ。
けれども私個人の意見としては、どんなことよりも自らの価値観を優先する者こそ美しいと感じてしまう。
自らの価値観を裏切ってまで生きて、果たしてそれはアクダマ達にとって幸せなのだろうか。
アクダマ達が情の厚い”一般人”と行動していくに連れ、どのように変化していくか今後の展開が気になるところである。