アクダマドライブが面白い
今期はアニメを結構見ている。
全部で15本ほど見ているが、特に面白いのがアクダマドライブ、憂国のモリアーティ、ひぐらしのなく頃に業、の3つだ。
ひぐらしのなく頃に業に関してはひぐらしのなく頃に無印とうみねこのなく頃にの予備知識が必要なので敷居が高いかもしれないが。
今回はアクダマドライブについて書きたいと思う。
あらすじ書くのは面倒なので書かないが、ざっくりどんなアニメなのか説明すると、近未来の関西で犯罪者達が己の生き方を貫いていく話だ。
ストーリー原案とキャラクター原案は「ダンガンロンパ」の人らしい。
・・・そもそも悪とはなんだろうか。
悪とは、属している集団の大多数の価値観・・・つまり倫理観とかけ離れた価値観のこと。
そういった価値観を持つ者を悪人と呼ぶ。
私はそう考えている。
アクダマドライブのキャラ達でいえば、”喧嘩屋”は強い者と戦うことに価値を感じ、”医者”は人の命を自分の手で左右することに価値を感じているなどである。(キャラクター名が”医者”や”チンピラ”や”一般人”などでややこしいのでキャラクター名の場合は””を付けることにする)
そういった価値観は、戦時中とかであれば社会の役に立ったかもしれない。
だが、それらは現代社会では必要のない価値観であり、害悪でしかないのだ。だから彼らは悪人と呼ばれる。
さて、アクダマドライブのメインキャラの中で唯一悪人ではない”一般人”がいる。
私はこの”一般人”の役割がよくわからなかった。
他のメインキャラ達と違って特筆した能力があるわけでもないのに、事あるごとに感情的になっていちいちうるさい。正直鬱陶しかった。
だが、6話まで見てようやく彼女の役割を理解することができた。
先述したような根っからの悪人は、自らが価値を感じるもののためであれば、自らの命を捨てることも辞さない。
”ハッカー”は死ぬかもしれないとわかっていてカントウに向かったし、”喧嘩屋”は強い者と戦って満足して死んだ。
”処刑課のボス”は、自らの価値のために進んで死を選ぶ者を生に繋ぎ止めるための物は情だと言う。
”一般人”の役割はそれなのだろう。
”一般人”は、相手がアクダマであろうとなかろうと、命の心配をするし一人の人間として接する。
”一般人”のそうした態度は、価値観が社会の価値観とは離れており孤立しがちなアクダマ達には新鮮だった。
だから”ハッカー”は”一般人”に心を少し開き、端末を一つ渡したのだろう。
人は、誰かが自分のことを心配してくれている、必要としてくれている、と感じていると簡単に命を捨てられないものだ。
けれども私個人の意見としては、どんなことよりも自らの価値観を優先する者こそ美しいと感じてしまう。
自らの価値観を裏切ってまで生きて、果たしてそれはアクダマ達にとって幸せなのだろうか。
アクダマ達が情の厚い”一般人”と行動していくに連れ、どのように変化していくか今後の展開が気になるところである。