ひきこもりは外に出るべきではない。
この前も同じタイトルで書いたんだけどその続きというか補足的な。
最近はひきこもり界隈や文学界隈のSNSをよく見ているせいか、やばい人を見かける事が多い。
やばい人というのは、物事や言葉を悪い意味でしか受け取れない人であったり、人に悪意ばかり振りまいている人だ。
明らかにその人は善意で言っているだろうという人の言葉にもどういう思考回路をしているのか悪い意味で無理やり捉えて噛み付いていたり、いつも誰かの悪口を言っていたりする。
悲しいことに私がかなり尊敬している作家さんにもそういう人がいる。
まああれだけネガティブなテーマで名作が書けるんだからそりゃ本人もめちゃくちゃネガティブな人でしょーよ。でも悲しかったよ私は。
と、やばい人やばい人と貶している私であるが、私にもそういう時期があった。
というより、つい最近まではそうだった。もしかしたら少しマシになっただけで今もそうなのかもしれない。
そういう時期だったのは、学生時代やバイトしていた時期だったり、Twitterをしっかりやっていた時期、つまり、無理に外部と接触していた時期だ。
無理に外部と接触していたのでストレスを抱え込んでいた。
それが自分だけでなく外部へも向かったのであろう。
外に毎日出ていた時期は常にイライラしていて、前から人が歩いてくるだけで殺したくなったりもした。
危険人物極まりない。
ひきこもりは外に出るべきではない、と何度も主張しているが、一生外に出るなと言っているわけではない。
無理に社会復帰し、ストレス貯めて周りに害を振りまくようなら外に出るべきではないと言っているのだ。
楽しく外に出られるようならどんどん出たほうがいい。
ひきこもりを無理矢理にでも外に出したほうがいい。一度外に出せばなんとでもなる。だとか、精神論を唱える人がいる。
いややめておけと。ストレスで絶対なにかやらかすから。
ひきこもりは人一倍ネガティブで傷つきやすい人種である。
なのでストレスを抱えない無理しない範囲で社会と繋がっていくしかないのだ。
余談だが、「NHKにようこそ!」というアニメを、ひきこもりを脱出させるには脱出せざるをえない極限状態にするしかない、という結論だと捉えている人がいるがそれは間違いである。
確かに主人公の佐藤君はお金を稼がざるを得ない状況になってやっと働き出したが、それだけだとまたすぐにひきこもったであろう。
重要なのは愛であり、理解者であり互いに支えあえる存在である。
岬ちゃんがいることで佐藤君は前向きに生きることができるようになったのだ。
ひきこもりは佐藤君でいう岬ちゃんを探すべきなのかもしれない。